Archive for 11月, 2012

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜海岸横の白浜神社、この神社の裏に35000年の歴史を刻む古代祭祀遺跡がある。

 

卑弥呼の邪馬台国以前の西暦100年から200年に栄えた南伊豆町下賀茂の古代都市「日詰遺跡」、そこから始まった私の郷土歴史の探訪の旅はこの白浜神社遺跡でそろそろ終着駅になりそうです。

・・・南伊豆の古代祭祀遺跡の特徴は、山の祭祀と海の祭祀に分類され、山の祭祀遺跡の代表は弥生時代の日詰遺跡(または下田市の洗田遺跡)で、海の祭祀遺跡の代表は縄文中期の白浜神社遺跡である・・・

そんな森本仮説を立てながら郷土史探訪の旅を続けていました。

そして、二つの重大な科学的事実に突き当たりました、「大島の噴火」と「黒曜石」です。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜神社遺跡の裏の海岸からはドーンと大島が正面に見える

 

白浜神社横の白浜海岸からは正面にドーンと大島が見えます。

伊豆七島の大島は3万年前の海底噴火で島が誕生し、その後、すくなくとも2万年前から100年に1度噴火していることが地質学的に解明されているそうです。

・・・3万年前(後期石器時代)、ここ白浜海岸から見える正面の海の海底火山が噴火し、天空に噴火雲が立ち、真っ赤な溶岩が白煙とともに吹き上げ、みるみると大きな島が誕生していった・・・

・・・当時の石器人は、対岸のこの白浜海岸の丘に登り、その恐ろしい光景を何日も何ヶ月も何年も見ながら、かがり火を焚いて大島の鎮火をひたすら祈った・・・

そんな光景が目に浮かんで来ました。

 

伊豆七島、神津島の黒曜石

世界最古の神津島黒曜石は3万5000年前のものが発掘されている

 

そしてもう一つの事実が黒曜石(こくようせき)の出土です。

青銅製、鉄製の金属製の道具が使われ始めた時代より以前の長い間(旧石器時代、200万年前~1万年前)刃物として使われていたのが黒曜石です。

写真上の神津島黒曜石の原石と破片を触ってみましたが、人間が刃を人工的に研磨しなくても、原石を割っただけで鋭利な破片がいくつもできるような感じでした。当時の人々にとっては死ぬほど便利な石だったのでしょう。

日本国内では70カ所から黒曜石が採石されたそうですが、神津島からも黒曜石は採石されていました。

国内で最古の神津島黒曜石が神奈川県相模原市の橋本遺跡(後期旧石器時代22000年前)から発掘されていますが、伊豆半島でも河津町の見高段間遺跡(縄文早〜中期、5000〜8000年)から神津島黒曜石が大量に発掘されており、海上輸送の中継地だったことが推定されています。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3最終回(白浜神社遺跡)

河津町の見高段間遺跡から下田方面を見た風景

 

また、海外では、朝鮮、ロシアで3万5000年前の神津島黒曜石が発掘されているそうです。

つまり、伊豆半島南東部(約3万8000年前に噴火し既に終息していた河津町の鉢の山と推定されている)には少なくとも3万5000年前には旧石器人が 住んでいて神津島黒曜石の採取と海上輸送を生業として活動していたということになります。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3最終回(白浜神社遺跡)

河津町の鉢の山には3万5千年前には神津島黒曜石を海上輸送した石器人がいた。

 

最初の大島の噴火(島の誕生)が3万年前ですから当時の旧石器人はそれをも目撃しているこ とになります。

世界四大文明のエジプト文明が紀元前3000年ですから、その10倍以上の歴史を南伊豆の海の民たちは残しているのです。

3万5千年前の神津島黒曜石、3万年前の大島誕生・・・どうやらそのあたりが南伊豆の古代祭祀の始まりだったような気がしているのです。

これからレポートする白浜神社の境内には樹齢2000年の御神木「白龍の柏旗」がありますが、白浜神社の裏山にある古代祭祀遺跡はその10倍以上の歴史を背負っているように思えます。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜神社の二大神様、三島大明神とイコナヒメノミコトとの歴史は・・・

 

白浜神社の御祭神は五つ(写真上)で、筆頭が三島大明神、紀元前500年、南方より海を渡ってきたという神話があるそうです。次にその后の伊古奈比咩命(イコナヒメノミコト)。この二神がきわめて重要です。

まず、三島大明神(ミシマダイミョウジン)ですが、この三島とは白浜海岸の正面に浮かぶ大島、利島、新島のことだそうです。

西暦700年の大宝律令で国司が現在の三島市に設置されたとき、ここ白浜神社の御祭神であった三島大明神だけが移され、現在の三島大社が建築されました。

そして、残ったお后、伊古奈比咩命(イコナヒメノミコト)が白浜神社の御祭神として残ったのです。

つまり、現在の三島大社の御祭神は、もともと白浜神社の御祭神だった三島大明神を引っこ抜いて祀っているという訳で、3万年以上の歴史を持つ伊豆半島の古代海人たちの祈り神を、時の政権が勝手にひょいと移してしまった・・・ということだそうです。

まあ、横暴というか、浅計というか。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜神社のご本殿、この裏山の禁足地に古代祭祀遺跡がある

 

「大島の噴火」と「黒曜石の採石と海上輸送」という事情で、白浜海岸周辺はケタ違いに古い祭祀の歴史を持つ海岸線だと言えるみたいです。

日詰遺跡レポートでも白浜神社周辺からは特に多くの遺跡が発掘されているという記録があり、白浜神社遺跡で行われたような古代の海の祭祀が、ここら周辺のあちこちで行われていたということです。

取材中に、白浜神社の巫女さんから聞いたのですが、白浜神社では毎年10月29日伊豆半島最大の例祭があるそうです。その例祭の前日(28日)の午後5時半からその祭りの開始を伊豆七島の神々に知らせるために白浜海岸で巨大なかがり火を焚くそうです。これは火達祭(ひたちさい)と呼ばれ多くの見物人が来るそうです。

残念ながら、今年の火達祭は先週終わったばかりでした。きっと3万年前の南伊豆の古代海人たちもこうやって祈ったのでしょう。

いつ来るか分からない巨大津波(うちの目の前の弓ヶ浜では津波の高さは25mだそうです)にビクビクして毎日生活してるくらいなら、この火達祭に参加して古代人のように我々の波動を神々に送りませんか?

3万年以上営々と続けられている行事に参加しましませんか?

私はそうすることに決めました。あなたも一緒にいかがですか?

南伊豆の海で生計を立てている人にとって、白浜神社だけは外せない感じがしています。

火達祭の詳細はこちらです。
http://www9.ocn.ne.jp/~ikona2/newpage3.htm 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

火達祭(ヒタチサイ)前夜には七つのかがり火を焚いて伊豆七島の神々にご挨拶する

 

白浜神社の本殿の裏山の海一望の古代祭祀遺跡、現在は禁足地となっていて関係者以外はいかなる理由があろうとも立ち入り禁止です。とても残念でした。

よって本殿にて一礼二拝のあと言霊を発す・・・

3万年の聖霊たちに、かしこみ、かしこみ、もうまおす、白浜神社のおおかみ、守りたまえ、さきはえたまえ。

すると、白浜神社からの帰り際、エメラルドブルーの沖から南風が吹き、白浜海岸の白砂が舞い、渚がざわつき、はるか沖の大島が笑った・・・

これにて私の古代遺跡をめぐる旅はいったん休憩です、これからは伊豆半島の最南端の南伊豆に鎮座する八百万の神々たちと少しお話をする時間をつくって行きたいと思っています。

読者のみなさん、3編最後までおつきあいいただきありがとうございました、弓ヶ浜でお会いする機会がありましたなら、すこし古代神話の世界をお話しさせていただきます。

ありがとうございました。

白浜神社のおおかみ、まもりたまえ、さきはえたまえ。

 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)はこちら

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の古代祭祀遺跡)はこちら

 

 

 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

弓ヶ浜の天神遺跡、ヤシが立っている海岸あたりから奈良・平安時代の土師器が発掘された。

 

日詰遺跡レポートには、南伊豆町と下田市から発掘された70カ所の遺跡について記述があります。

この狭いエリアに70もの遺跡があるが驚きです。そこで、まず自分が住む弓ヶ浜(湊地区)周辺の遺跡を実際に歩いて当時の人々の祈りを感霊する旅をしたくなりました。

まず最初のパワースポットは、目の前の弓ヶ浜海岸の左端にある砂丘にあった天神遺跡です(写真上)。

自宅から一番近いのですが、日詰遺跡レポートに書いてある「天神、テンジン」という旧地名が地元の人々に聞き歩いても誰も知らず、最後にあった老漁師から初めてその名前が出てきたのでした。どうやら天神とは古い漁師だけが使った地名だったようです。

この天神遺跡からは、奈良時代(710年~)から平安時代(794年~)にかけての土師器が発掘されました。現在のホテルまる文の下の海岸で高いヤシが10本くらい植わっているところです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

現在の動力船組合の海の祭祀、逢ノ浜での龍権(りゅうごん)さん

 

毛倉野の陶芸家の渡辺隆之さんの見解では、土師器を作るには非常な高度な地質学、粘土学、化学、燃焼学が必要で、たぶん朝鮮半島から仏教伝来と一緒に最先端技術を持ったスペシャリストたちが飛鳥京や平城京で製陶したのではないか・・・ということでした。

ということは、当時の人々が日常品として使っていた器ではなく、わざわざ京の都から取り寄せた貴重な道具を使って何らかの海の祭祀を行っていたと推定できます。漁師たちが大漁や航行の安全を祈ったのかもしれません。

現在でも、湊の動力船組合(漁師)では7月に逢ノ浜の龍権(りゅうごん)さんという祭祀を行っています。小さな漁村の簡素なセレモニーですがひょっとすると歴史はとんでもない太古からかもしれません。

弓ヶ浜周辺の古代遺跡の2番目はタライ岬遺跡です。タライ岬は弓ヶ浜の左側の地磯の先端で、日の出スポットとして有名です。沖には、大島、利島、新島、三宅島、うとね島、神津島が見渡せる絶景ポイントです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

タライ岬遺跡、弓ヶ浜の左側の地磯の最先端で、この左上に展望台がある、日の出スポットで有名。

 

現在は展望台の碑(写真下)があるところで海の祭祀が行わていました。当時は祭祀が終わると土器などを岬の崖下に投げ捨てたようで、崖下(写真上で釣り人が立っているところ)から古墳時代後期(500年代)の土師器、須恵器、手づくね土器などの祭祀道具の破片が多数出土しました。

写真上は弓ヶ浜漁船ジオパークツアーで撮影したものです。

タライ岬へ行くには、逢ノ浜からタライ岬遊歩道を上り30分くらい登ると到着します。弓ヶ浜からだと往復90分のハイキングコースです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

現在のタライ岬の展望台、伊豆の島々が見える。

 

弓ヶ浜の古代遺跡の3番目はタライ岬遺跡のお隣にある遠国島(オンゴクジマ)遺跡です。

大正6年、田牛の遠国島から奈良時代(710年~794年)の土師器、須恵器などの祭祀遺跡が発掘 されました。陸(タライ岬遊歩道)からも渡れますが、岩肌を命がけで登る必要があります。

私は磯釣り(メジナとシーバース)で3回ほど渡ったことがありますが、島頂か らは利島、新島、神津島が正面にデーンと見えます。昔は祠があったそうですが、現在は何もありません。当時の人々は何を祈ったのでしょうか。

写真下は弓ヶ浜漁船ジオパークツアーで撮影しました。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

遠国島遺跡、タライ岬の隣にある島の頂から古代祭祀遺跡が発掘された。

 

弓ヶ浜周辺の4番目の古代祭祀遺跡は湊の下条遺跡(写真下)です。

弥生時代後期(紀元前70年)の弥生土器片、鉄滓(てっし=タタラ製鉄するときに出る鉄のくず)が出土しました。ここは土器の捨て場だったらしくタタラ製鉄もちかくにあり、かなり大きな集落だったそうです。今の湊地区センターの裏の梅乃屋さんの右奥の丘陵一帯で、当時は海面が高くここまで海岸線が入り込んでいたようです。

1kmに渡る弓ヶ浜海岸の砂は含有鉄分が多く古代製鉄に多く使われていたそうです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

弓ヶ浜の下条遺跡、現在の湊地区センターの裏山です。

 

この下条遺跡周辺で畑仕事をしていた方のお話によると、畑仕事をするたびに10円玉くらいの土器片が今でも出てくるとのことで、そのお話の最中にも「ほら、ここにも・・・」と地面に落ちている葉っぱ模様のついた土器片を拾って見せてくれました。(写真下)

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

下条遺跡の土器片は今でもあちこちに転がっている・・・

 

弓ヶ浜周辺の5番目の古代祭祀遺跡は湊の大日山遺跡(写真下)です。現在の山田酒店の横の小山で、このあたりは旧名で上条と呼ばれていました。弓ヶ浜村の言い伝えで古代の漁師はこの大日山に船を係留したというのが残っているそうです。当時は海面が高く、少なくともここまでは海だったということです。

平城京や平安京からやってきた船が、南伊豆湊の入り江のこの高台を目印に入船してきて、日野の郡衙址「グンガシ」で積荷検査を受け、現在の青市まで租税(租庸調)の塩カツオの発酵汁(魚醤)を受け取りに行っていたという記録が出土した木簡にあったそうです。

たぶんその頃にはこの大日山の波止場には多くの輸送船や漁船がもやいされ、古代の海洋都市として殷賑を極めていたと思われます。

私が聞いた村の長老たちの言い伝えと一致します。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

弓ヶ浜の大日山遺跡、現在の山田酒店の横の小山で、上条と呼ばれていました。

 

弓ヶ浜周辺の6番目の古代祭祀遺跡は湊の日野遺跡(写真下)です。現在のセブンイレブン前の丘陵斜面です。

伊豆諸島考古学者の橋口尚武氏の学説によると、ここから発掘された奈良三彩の小壺蓋は平城京(西暦710年~794年)で作られたもので、これは日野で国家的規模の祭祀が行われていた証拠で、伊豆半島賀茂郡の郡衙址「グンガシ」(郡司が政務にあたる正殿・脇殿のほか、田租・正税出挙稲を保管する正倉、宿泊用の建築)であった可能性が高く、近くを流れる青野川下流の潟港(湊地区、手石地区)は東国経営に欠くことのできない要港であったはずである・・・とのことです。

西暦700年代、どうやら弓ヶ浜は古代の海洋都市として殷賑を極めていた感じです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

日野遺跡、現在のセブンイレブンの対面の丘陵です。

 

日詰遺跡レポートで記述があった遺跡が、現在地名でどこにあったのかを古地図で調べたり、村の長老や現場近くの住民にヒアリングしながら、日頃見慣れた郷土の風景を探索するのも実に愉しいものです。

7番目の古代祭祀遺跡は湊のミカノセ(美加奈志)遺跡です。ここの丘陵斜面から弥生後期(西暦100年前後)の弥生土器、古墳後期(西暦500年代)の土師器、須恵器が発掘されました。現在のファミリーマート横の河川敷周辺です。(写真下)

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

美加奈志(ミカナシ)遺跡、現在のファミリーマートの横の川沿いです。

 

弓ヶ浜周辺の8番目の古代祭祀遺跡は手石の十二叟(ジュウニソウ)遺跡です。ここから、古墳時代(西暦200年以降)の鉄滓(鉄のかす)やタタラ製鉄跡が発掘されました。現在の手石区民センター裏の青龍寺周辺です。(写真下)

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の祭祀遺跡)

十二叟遺跡、現在の手石の青龍寺の周辺です。

 

以上8カ所の古代遺跡が弓ヶ浜周辺の実に狭いエリアから集中的に出土していました。

さらに、冒頭に述べましたが、日詰遺跡レポートには、南伊豆町と下田市の70カ所以上の古代遺跡について記述があり、海の祭祀遺跡、山の祭祀遺跡、たたら製鉄跡遺跡が全国の遺跡スポットに比べて異常に多いことが指摘されています。

そして、遺跡探索をしていくうちに疑問が出てきました・・・

鉄分を多く含む砂浜が多く、製炭に欠かせない森林が多い南伊豆にタタラ製鉄跡が多いのは分かるけど、じゃあ、なんでこうも祭祀遺跡が多いの?

伊豆半島の最南端になぜ古代祭祀遺跡が集中しての?

次のブログで考察してみたいと思います。

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)に続く

 

 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)はこちら

 

 

 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

すべてはこの一冊から始まった・・・南伊豆町下賀茂の日詰遺跡レポート

 

1980年に南伊豆町教育委員会がまとめた「日詰遺跡 本文 上」を南伊豆町の図書館で読んだことがこのブログのテーマ「南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅」の始まりでした。

先月、南伊豆町下賀茂の日詰遺跡から発掘された出土品の一部が伊豆市の展示博物館より返還されるという伊豆新聞の記事が目にとまり、そのときフェイスブックで南伊豆町議会議員の宮田さんがこの本を写真アップしたいたのがこのレポートとの出逢いでした。

これを読み進めて行くうちに、私が住んでいる弓ヶ浜周辺や南伊豆町内のあちこちから遺跡が発掘されていた事実を知ることになり、実際にその場所に行ってみたいという衝動にかられました。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

青野川と一条川が合流する場所に弥生~奈良時代にかけて古代都市が栄えた

 

まずはじめに、日詰遺跡から追跡してみました。現在のマックスバリュー下賀茂店の裏手にある公衆便所あたりが遺跡の中心地です。ここは、青野川と一条川が曲がりくねって複雑に合流する地点で、昭和50年に河川の修復工事が行われる以前は水害が多発していた場所でした。

その河川工事のときにその沖積地から弥生時代後期(西暦100年~200年)から平安時代(794年~1185年)にかけての大集落跡、方形周溝墓群跡、生産跡が発見されたのです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

現在のマックスバリュー下賀茂店の裏の公衆トイレあたりが発掘の中心地

 

発掘調査は3回に分けて行われましたが、当時の南伊豆町役場の職員も少なく限られた時間と予算で十分な調査ができなかったそうです。現在も日詰遺跡を研究されている方のお話によると、おそらく実際の面積の十分の一くらいしか発掘されていなかった・・・ということでした。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

日詰遺跡から発掘された弥生土器、下賀茂の道の駅「湯ノ花」で展示されている。

 

日詰遺跡の特徴は、弥生時代後期(西暦100年~200年)から平安時代(794年~1185年)にかけて数百年間に渡る重複遺跡であるということです。

卑弥呼の邪馬台国が西暦200年あたりですからその前時代の出土品が一番古いものだそうで、土器、ガラス玉、石製模造品、土製模造品、青銅製鏡、鉄製品、鉄滓などが発掘されました。

ここでちょっと横道に・・・邪馬台国論争について北九州説と近畿説が有力となっていますが、なんとこの南伊豆町説を唱えた学者がいたのです。古代史研究家の肥田政彦氏は昭和63年に「邪馬台国南伊豆町付近説」を近畿大学新聞311号に発表したのです。

肥田氏は、魏志倭人伝に記載された風習や自然風景にすべてに合致する地域は南伊豆町しかないと説きました。この論文ぜひ読んでみたいですが、長年の邪馬台国論争の重要ポイントに、魏志倭人伝の「水行二十日、水行十日、陸行一月」という一節があるそうで、当時の魏人(中国人)が複数の倭人(日本人)にヒアリングするとその位置に邪馬台国があると答えた・・・と記録されているそうです。

まあ、邪馬台国はちょっと背伸びしすぎという感じですが、この地に数百年間も古代都市が栄えていたことは明らかなようです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

大賀茂の割烹「洗田」の裏山の洗田遺跡、南伊豆の遺跡発掘はここから始まった。

 

さて、この日詰遺跡レポートには周辺遺跡についても言及されています。ただし、遺跡の名前が昔の地名(字名)なので地元の古い方にヒアリングしない とまったく場所が分かりませんでした。でも、フェイスブックなどで問いかけをするとご町内の方々からピンポイントの情報提供が多数ありとても助かりまし た。

また、有力な参考文献なども推薦してくれ、特に、「黒潮の道 海と列島文化7」(小学館)の第一章「黒潮の考古学」の「列島の古代文化と伊豆諸島」橋口尚武著、「南伊豆の祭祀遺跡」外岡龍二著が目からウロコでした。

特 に外岡説によれば、南伊豆地域(下田市も含む)の古代祭祀遺跡の発掘は昭和2年の洗田遺跡から始まり、その後多数の遺跡が発掘され、それらの特徴は、1)祭祀遺跡と製鉄遺跡が多い、2)祭祀遺跡は海の祭祀と山の祭祀に分類される、ということ であり、南伊豆の賀茂郡は大和国葛城郡の鴨地方を本拠とした豪族「賀茂一族」によって開拓されたのでは・・・と推論しています。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

大賀茂の三倉山、典型的な神奈備(神体山)型で大和(奈良)の三輪山信仰からきている。

 

昭和2年の下田市吉佐美の洗田遺跡は、現在の割烹「洗田」の裏山の丘陵から古墳時代(西暦200年~592年)の山の祭祀遺跡が発掘されました。土師器、須恵器、手づくね土器、石製模造 品、土製模造品、青銅製鏡など、古代の人々が神を祀るさいに用いた道具が多数発掘されました。

驚くべきことに、当時の海面は現在よりも高く、吉佐美の大浜海岸の海水はここまで入り込んでいて、水路を隔てて対岸の神奈備(神体山)の三倉山を祀った祭祀遺跡で、これは大和(奈良)の三輪山信仰からきた祭祀だということです。

現在の三倉山には登山道があり、山頂には祠があるそうです。三倉山のふもとには金山遺跡と大賀茂遺跡があり、金山からは古墳~平安時代の製鉄跡、土師器、須恵器、灰釉陶器、鉄滓、炉壁が出土し、大賀茂からは縄文~古墳時代の土師器、石棒、へこみ石が出土しています。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

大浜海岸に流れ込む川の手前の丘陵の田京山遺跡

 

洗田遺跡から大浜海岸に向かって川沿いに進むと、海岸手前の丘陵の台地に田京山遺跡があります。縄文中期(紀元前3000年~紀元前2000年)、縄文後期(紀元前2000年~紀元前1000年)、弥生後期(西暦77年~200年)、古墳(西暦200年~592年)の縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、石斧、石棒、石皿、石鍬、石錘、石匙が発掘されました。

ここは現在の民宿カトレアの裏山で墓地の上の高台で、当時の高い海面を想像しながら海側を見下ろすと、船から見てここが入り江の高台だったことがわかります。紀元前3000年の縄文人たちはここで海の祭祀を行っていたようです。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)

入田浜の入口の砂丘には広畑遺跡があった。

 

吉佐美から下田方面に北上すると、現在の入田海岸入口あたりの砂丘に広畑遺跡があり、弥生後期(西暦77年~200年)、古墳前期(西暦200年~350年)の弥生土器、土師器が出土しました。

さて、日詰遺跡レポートには南伊豆町&下田市エリア内で70以上の遺跡があり、遺跡名、所在地、地形、時期、出土品などが一覧できますので、郷土の古代史に興味ある方は南伊豆図書館で一読してみて下さい。

調べれば調べるほど、南伊豆町、下田市、河津町を含む伊豆半島東南部は古代の祭祀遺跡だらけです。

ここは間違いなく八百万の神々が鎮座する古代祭祀の国だったようです。

 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の古代祭祀遺跡)に続く

 

 

 

 

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

アウトリガーカヌーとシーカヤックのカリスマ二人が弓ヶ浜に・・・

 

今朝8時頃、携帯電話が鳴った、懐かしい声がした、「これから弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式をやりますけど、顔出しませんか?」

日本全国をアウトリガーカヌーで旅をしながら、その先々の海岸や陸地を清めて回る海の聖、そして本場ハワイ諸島でも幾度となく島渡りを行って現地の人々から尊敬の念を持って「Duke 」と呼ばれているデューク金子さんだった。

弓ヶ浜に出てみるともう一人の男がピカピカの新艇のそばに立っていた。弓ヶ浜で30年以上もシーカヤックをガイドしたり指導したりしている塩島さんだった。南伊豆のシーカヤックの第一人者で神子元島まで200回以上も往復している伝説の人である。

海の神の使いのようなこの二人が弓ヶ浜に立っているだけで海岸には何かただならぬ雰囲気が漂っていたが、これから塩島さんの新艇アウトリガーカヌーの進水式の儀式が始まるらしい。なんかドキドキしてくる。南伊豆でアウトリガーカヌーをクラフトしている高山さんも合流してきた。

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

ハワイ語のお清めの歌を高らかに合唱

 

まずは3人でハワイ語の歌が手拍子つきで合唱された。意味はまったくわからいけどなんか懐かしい言霊とリズムだった。そして、デュークが塩を持ち、塩島さんが日本酒を持ち、二人で新艇のすべての場所を清めて回る、そして、海に入り海を清める。

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

塩とお酒で、新艇を清めるデュークと塩島さん

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

海と、陸と、その二つをつなぐものすべてを清める

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

全員で手をつないで輪になって祈りを捧げる

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

日本酒を回し飲んでお清め。

 

次に、全員で手をつないで輪になって祈りを唱える、日本酒を回し飲みして全員がお清めした。すべてのお清めが終わった後、デュークと塩島さんはそれぞれのアウトリガーカヌーをひょいと肩に担いで入水し沖へ漕ぎだした。

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

すべてが清められた後、新艇の初乗り、海のカリスマ二人が漕ぎだした。

 

すべてが簡単な儀式だけど、なぜか写真を撮りながら自分の気持ちが昂揚してきているのに気がついた、不思議だけど。

進水式の儀式が終わって、我が家でコーヒータイムになった。2時間ほど二人のカリスマを交えて超ハイレベルな「海とアウトリガーカヌー」のお話を拝聴した。

デューク曰く、

「森本さん、日本では神社の御神輿を担いでお祭りしますよね、ハワイではアウトリガーカヌーがその御神輿なんですよ、だからアウトリガーカヌーの置き場所って神社のような神聖な場所なんです、単なる遊び道具ではないんですよ・・・」

「で、ポリネシアの人々は自分たちの先祖は東方(中国大陸)からカヌーでやってきた、と信じています、だからつい200年前まで日本の古代祭祀のような日常生活が続いていたんです、日本人がまるっきり忘れてしまったものがそこにはまだ残っているんですよ・・・」

いや~深いですね、これは。こんなスピリチャルな文化論を聴きながら、私もだんだん興奮してきました。何か大きな霊的エネルギーをもらったように感じました。

南伊豆とアウトリガーカヌー・・・この組み合わせに何か inspiration を感じました。

歴史的に観ても、河津町の見高段間遺跡(5000〜8000年前、縄文早〜中期)から神津島で採掘された黒曜石が大量に発掘されており、その時代に伊豆半島と伊豆七島の間では海上輸送が日常的に行われていたことが明らかになっています。

さらに、時代をさかのぼって、神奈川県の相模原橋本遺跡から22000年前(後期石器時代)の神津島黒曜石が発掘されており、丸太をくりぬいたアウトリガーカヌーで海上輸送されていたと推定されています。

 

弓ヶ浜でアウトリガーカヌーの進水式

神津島で採石された黒曜石の原石、鉄器以前のナイフとして利用されました。

 

だから、南伊豆とアウトリガーカヌーの組み合わせは2万年の時を越えて今によみがえった・・・ということになるでしょうか、2万年ですよ、ハンパないです。

デュークと次回会うときには一緒にアウトリガーカヌーを漕ぐことを約束してお別れしました。

南伊豆とアウトリガーカヌー・・・おもしろそうです。

 

 

 

 

 

 

 

第1回南伊豆ジオパーク研究会、加納の石丁場を探検

ネイチャーガイドに案内されながら走雲峡の道路から山に入って15分登山すると・・・ 

 

先週、伊豆半島ジオパークが正式に認定されたので、先ずはわれわれ南伊豆町民が南伊豆にある海、川、山のジオパークを探索しようじゃないか!

というわけで、9月2日逢ノ浜での燻製パーティー参加者が中心になって第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催いたしました。テーマは二つあって、1)加納の伊豆石の石丁場(石切場)の見学、2)南伊豆の地魚のレシピ研究会(食のジオパーク)でした。

加納の石丁場は伊豆半島ジオパークにも正式に認定されていますが、私を含め地元住民でも見たことが無い人が多くみんなで一度探索しておこう!ということになりました。

場所は、南伊豆町の加納にあり、走雲峡から山道に入り、15分登山しなければいけないところにあります。しかも、そこは個人所有地なので、勝手に入り込むことができない山林になっています。

今回は、加納の石丁場を所有する山主さんから直接ガイドを許されている南伊豆ネイチャーガイドの堀直也さんにガイド役をお願いいたしました。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の石丁場を探検)

伊豆石の石丁場の入り口を入っていくと・・・

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

映画インディージョーンズの舞台セットのような光景が広がっていた・・・

 

石丁場までの往復の山道は軽い登山という感じで、荷物はリュックに入れ両手はフリー状態でないと道が険しい場所もあり、ちょっと危険な感じがしました。滑るので運動靴よりも軽登山靴の方がベターです。

南伊豆ネイチャーガイドの堀さんは、途中途中休憩入れながら、自然観察の方法など教えながら、目的地までガイドしてくれました。

15分くらいで伊豆石の石丁場の入り口に到達しました、胸が高鳴ります、ドキドキ・・・。

入り口を入って奥へ奥へ進んでいくと、「わあああ~」参加者全員が思わず声を出していました。これはまさ映画で見たインディージョーンズの舞台のような空間でした。「すっご~いっ!」

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

神秘的な洞窟、300年前の石工のノミ音が響いてくるような

 

写真を撮りまくる人、はしごに登って2階にいく人、天井まで登って下を見下ろす人・・・みな大興奮で大はしゃぎでした。

私が感動したのは、壁一面にノミの切り出し跡がはっきり残っているところでした。まるで昨日まで石工さんたちが働いていたような錯覚に陥りました。

ここで切り出された伊豆石は江戸城にも使われたそうですから最低でも300~400年以上昔の石切場だったと推定されます。

石工さんたちのノミ音やかけ声が聞こえてくる・・・そんな臨場感がありました。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

天井からの光景、ここで人間が人力で石を切り出していたのかあ

 

感動の石丁場見学の次は私が伊豆石で造った炭窯をご案内させていただきました。

江戸時代、南伊豆は伊豆炭という良炭の生産地で、江戸幕府にも献納されていました。伊豆炭とは、紀州備長炭と同じでウバメガシを1000度以上の高温でネラシて製炭された白炭で、たたくとキンキン音がする一級品でした。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

伊豆石で造った炭窯、加納伊豆炭窯、備長炭のような堅い伊豆炭を製炭する

 

弓ヶ浜に戻ってちょうどランチタイム、ここで今日の二つ目の研究テーマ、地魚のレシピ研究(食のジオパーク研究)です。

本日の食材は、地元でも高額となり手に入りづらくなってきた金目鯛(地キンメ)です。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

ランチは地魚の金目鯛(地キンメ)のレシピ研究会です

 

金目鯛には地キンメと沖キンメの2種類あり、味も値段も地キンメの方が2ランク上です。伊豆七島の神津島より手前で釣れるのが地キンメ、神津島より沖で釣れるものを沖キンメと区別しています。

ところがこの2種、外見ではまず見分け不可能です。私にも無理です。でも食べてみれば一目瞭然です。

今日の食ジオはこの金目鯛(地キンメ)を使ったレシピをみんなで創作していきたいということです。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

地元料理人たちが金目鯛(地キンメ)を次々に調理していく

 

先 ずは、ご主人が金目鯛(地キンメ)漁船「月見丸」の船長さんである民宿「月見屋」の女将さんが作ってくれた金目鯛の漬け寿司です。もちろん地キンメは刺身 でも一級品ですがこうやって漬けにしても実にうまいっ!鍋で持ってきてくれた金目鯛(地キンメ)のアラと大根の煮付けも絶品でした。

月見屋さんのご自宅の食卓ではだいたい刺身、しゃぶしゃぶ、漬け寿司で召し上がるそうです。これぞ漁師料理の極みという感じですね。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の伊豆石の石丁場)

金目鯛漁師の女将さん(月見屋)から漁師料理、漬け寿司、うまいっ!

 

次 は、逢ノ浜の目の前のペンション波音さんのご主人が作った金目鯛のオリ-ブオイルソテーwithひじきソースです。ご主人は都内有名ホテルの元シェフなの で洋風に仕上げてくれました。ひじきソースはペンション前の磯のひじきを採集したものを使っているそうです。いや~おいしかったあ、ちょっといいワインや りながら・・・なんて最高でしょう!

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の石丁場を探検)

ペンション波音さんのシェフからオリーブオイルソテーwithひじきソース

 

私も金目鯛でアクアパッザを作ってみました。これも簡単な料理なんですが、身を食べた後にスープでパスタを作って生バジル振りかけて・・・これも絶品おすすめです。ただし、この料理は簡単に言えばイタリア風の水煮なので地キンメでなくても沖キンメで十分においしいです。

 

弓ヶ浜で第1回南伊豆ジオパーク研究会を開催(加納の石丁場を探検)

私からは金目鯛のアクアパッザ

 

今回の第1回南伊豆ジオパーク研究会には20名くらいの参加者がありました。

漁師、女将さん、ペンション経営者、ネイチャーガイド、自然農家、コミュニティ誌発行者、居酒屋、町議などなどそれぞれの立場や経験談から多くのアイデアが出され、具体的にプロジェクトも発足しました。

みなさん、南伊豆の復興について熱い方ばかりで、それが私にとっては一番の成果だったかもしれない・・・と密かに喜んでいます。

さて、今回の大成功を踏まえて、第2回南伊豆ジオパーク研究会を開催したい思っています。詳細は私のFacebookにてアップ予定ですが今のところ以下のような内容で開催するつもりです。

日時:12月11日火曜日10時~15時
場所:弓ヶ浜たけすみ丸食堂集合
料金:1,000円/家族
テーマ1:弓ヶ浜の漁船ツアー構想
テーマ2:宣伝広告手段
テーマ3:石廊沖のムツと地浦のカワハギのレシピ

「南伊豆ジオパーク研究会の目的は、南伊豆の自然の恵みを継承しながら、都会の人たちが癒される場を創ることによって、地域経済の発展に貢献していること。」

第2回も第1回以上の成果を創り出していきたいです。

ご賛同いただける方のご参加をお待ちしています。

 

南伊豆ジオパーク研究会

次の第2回南伊豆ジオパーク研究会のテーマは弓ヶ浜の漁船ツアーです!